独立行政法人 理化学研究所 神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター
2005年5月20日


Wnt2bが網膜幹細胞を未分化に保つメカニズム
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脊椎動物の網膜発生では、1つの前駆細胞が全てのタイプの神経細胞およびグリア細胞を生み出すことができる。この前駆細胞のなかでも特に自己複製能の高い細胞は神経性網膜の辺縁部に存在し、他の領域に存在する前駆細胞よりも長期間にわたって増殖を続ける。つまり、この辺縁部の網膜前駆細胞は幹細胞としての性質をもち、周囲の組織から特殊なコントロールを受けていると考えられるが、そのメカニズムの詳細は明らかでない。

今回、中川真一研究員 (高次構造形成研究グループ、竹市雅俊グループディレクター)らはニワトリ胚をモデルにした研究で、Wnt2bと呼ばれるシグナル分子が、これまで良く知られていたNotchシグナルによる分化抑制とは独立に網膜幹細胞としての性質を維持できることを明らかにした。この研究は、Development誌のオンライン版に5月18日付けで先行発表された。

Wnt2bを発現させた組織片を一週間培養したもの(右)。網膜前駆細胞が未分化状態を
保ったまま増殖を続ける ために、コントロール(左)に比べ非常 に大きな組織シートを形成する。

Wntファミリーは発生の様々な現象を司る重要な分泌性シグナル分子の一つであり、網膜発生においては、Wnt2bと呼ばれるサブタイプが眼胞の最もレンズに近い領域で発現している。中川らの研究グループは、この発現パターンと網膜辺縁部に存在する幹細胞との関連に注目して研究を行い、幹細胞が存在する辺縁部の領域でWntシグナルが活性化されていることや、Wnt2bが実際に生体内で神経細胞への分化を抑制できることを示してきた。またその一方でNotchと呼ばれる受容体を介した側抑制シグナルが網膜前駆細胞の神経細胞への分化を抑制することも古くから知られていたが、このNotchによる神経分化抑制効果とWntによる効果が同じなのか違うのか、違うとすればお互いにどのような関係にあるのかについてはこれまで明らかにされていなかった。

彼らはまず、Wnt及びNotch経路を活性化したときに網膜前駆細胞の増殖がどのような影響を受けるのかを調べるために、Wnt2bまたはDelta(Notchのリガンド)を強制発現させた神経性網膜の組織片を7日間培養した。その結果、Deltaを発現させた組織片は培養開始時の2倍程度の大きさの組織片しか形成しないのに比べ、Wntを発現させた場合はそれよりもはるかに大きなシート状の組織を形成した。培養期間中の細胞数の変化を調べると、Deltaを発現する組織片では約2日で細胞の増殖が止まるのに対し、Wnt2bを発現する組織片のなかでは観察した8日間にわたって細胞の増殖が持続していた。このような効果はWnt2bに特異的で、それまでに単層培養で網膜前駆細胞の増殖を促進する事が知られていたbFGFやEGF、あるいはヘッジホッグなどの細胞増殖因子も、組織片内では細胞増殖を長期間維持できないことが明らかになった。また彼らは別の実験で、Notch経路が働かないような環境下でもWnt2bが細胞の分化を抑制する事を見出し、Wnt2bによる前駆細胞の分化抑制はNotchによるシグナル系路とは完全に独立に働いていることを明らかにした。

それではWnt2bはどの様にして網膜前駆細胞の神経分化を抑制しているのだろうか。彼らはこの疑問に答えるために、Wnt2bとプロニューラル遺伝子との関係を調べた。プロニューラル遺伝子は発生中の網膜に発現する一連の転写因子で、特定のタイプの神経細胞への分化を制御している。実験の結果、Wnt2bを発現し未分化状態が保たれた組織片では、解析した全てのプロニューラル遺伝子の発現が抑制されていることが分かった。また、Wnt2bによる分化抑制はプロニューラル遺伝子の強制発現で解除されることから、Wnt2bはプロニューラル遺伝子の発現を転写レベルで抑制することで神経分化を抑制し、未分化状態を維持していることが予想された。また、細胞周期の進行を制御するCDKの阻害剤を用いた実験から、Wnt2bは細胞の増殖とは無関係に未分化状態を維持していることも明らかになった。

網膜前駆細胞の分化抑制において、これまで良く研究されてきたNotch経路とは独立の経路が存在し、それがWntによって制御されているという発見は意義深い。今回示されたWnt2bの機能は、幹細胞の幹細胞性(Stemness)を維持する微小環境のそれに似ている。幹細胞や前駆細胞が周囲からのどの様なシグナルによって増殖能や未分化状態を維持し、またどの様なシグナルによって特定の分化へと誘導されるのか、その制御メカニズムの更なる詳細の解明が待たれる。


掲載された論文 http://dev.biologists.org/cgi/content/abstract/132/12/2759

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