独立行政法人 理化学研究所 神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター

2012年3月1日


昆虫の脚の関節構造:多様性のひみつはNotchにあり
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針金のように細い昆虫の脚にも、私たちと同じような精密で機能的な関節構造があることをご存知だろうか。ただし、昆虫には私たちヒトのような骨は存在しない。彼らの体の構造を支えるのは、体の表面を覆う硬い「外骨格」だ。虫たちは外骨格の形を巧妙に変化させることで様々な形態の関節構造を作り、あるものは地面を走り回り、あるものはデコボコの枝にとまり、またあるものは自分の身長の何倍もの高さまでジャンプするといったダイナミックな動きを可能にした。しかし、このような昆虫の関節の多様性がどのようにして生まれたのかは、あまり知られていない。

理研CDBの田尻怜子研究員(形態形成シグナル研究グループ、林茂生グループリーダー)らは、昆虫の脚の関節構造が組織学的に3つのタイプに分類できることを明らかにした。さらに、Notchシグナルが進化の過程において、このような形態の多様性を生み出すキーファクターである可能性を初めて示した。本成果は、科学誌Developmentに2011年11月1日付けで掲載された。なお、田尻研究員は現在、東京大学大学院新領域創成科学研究科にて日本学術振興会特別研究員として活躍している。

昆虫の関節構造の3タイプ:左から順に、球関節、単一タイプ、並列タイプ。
(Scale bar=10μm)                         



昆虫の関節の形態は実にバリエーション豊富だ。種によっても異なるし、1匹の虫の中で節ごとに異なる形の関節を持つものもいる。そこで、彼らはまず種々の昆虫の関節一つ一つについて組織切片を作成し、詳しく構造を調べた。すると、シミやトビムシなどの無翅昆虫類、カゲロウやトンボなどの旧翅類では、一枚のプレートがぐにゃりと折れ曲がったような構造の関節(単一タイプ)や、二枚のプレートが隣り合って並んだ構造(並列タイプ)が見られた。一方、新翅類と呼ばれるカメムシやバッタ、アリやハエなどでは、これら2タイプに加えて球関節の構造が多く認められた。球関節は、一方が球状、もう一方がそれを包み込むお椀のような形をした関節だ。多様な昆虫の関節は、構造的に3つのタイプに分類できるのだ。

これまでに、田尻研究員らはショウジョウバエを用いた研究で、昆虫の球関節の形成には、関節を構成する細胞が球またはお椀の性質を獲得し「分化」するステップと、各細胞が正しい位置に「移動」するステップの2つが必要であることを明らかにしている(*科学ニュース2010.6.15)。この過程を考えると、並列タイプは移動ステップが、単一タイプは分化と移動の両ステップが起こらないことで生じると予想された。しかし、実際に昆虫の系統樹と各々の関節構造を照らし合わせると、種の進化と関節のタイプとに相関は見出せなかった。つまり、「単一タイプ→並列タイプ→球関節タイプ」という進化の方向性はなく、種ごとにそれぞれの環境に適応するために、様々な関節構造を独自に獲得していったと考えられるのだ。では、このような関節形態の多様化を可能にした仕組みとはどのようなものなのか。

Notchシグナルは、節足動物の脚の分節化と関節構造の形成に重要な働きをすることが知られている。そこで研究チームは、飼育温度の変化によってNotchの働きを抑制できるショウジョウバエの変異体を用いて、Notchシグナルを発生の各段階で時期特異的にノックダウンした。すると、得られた変異体の関節構造は、上記の3タイプによく似た多様な表現型を示した。脚の形態形成初期(さなぎ期)にNotchをノックダウンすると、本来球関節になるべき関節は単一タイプに変化した。詳しく解析すると、このような関節では細胞の分化が起こらないだけでなく、移動も起きていないことが判明した。一方で、単一タイプの関節構造を持ちながらも部分的に細胞の移動が認められる個体も、一部観察された。これらのことから、発生初期のNotchシグナルは球関節の形成において、細胞の分化と移動の両方のステップを制御しているが、その制御経路は各ステップで独立していると推察された。Notchシグナルによって分化と移動の両ステップのON/OFFの組み合わせを自在に調節することで、昆虫たちは進化においてかくも多様な関節形態を生み出すことができたと考えられる。

また、球関節の形成とNotchの機能について、さらに詳しく調べた。将来球関節を作る細胞でNotchシグナルを過剰発現させると、球構造は正しくできるが、お椀構造の形成は不十分であった。反対にこれらの細胞でNotchシグナルをノックダウンすると、球構造は形成されず、お椀構造も薄い不完全な形であった。このことから、強いレベルでNotchシグナルを受けた細胞は球、弱いレベルで受けた細胞はお椀の細胞にそれぞれ分化し、正しい球関節構造を形成することが明らかになった。

本研究により、Notchシグナルが関節を形成する細胞の分化と移動の2つのステップをそれぞれ独立した経路で制御することで、昆虫の多様な関節形態が生まれた可能性が示された。田尻研究員は「今回の研究から、Notchは分化の単なる切り替えスイッチではなく、分化と移動の2つの絶妙な組み合わせを司る一大制御システムであると考えています。今後はより具体的に、Notchシグナルが各ステップのどのような因子を制御しているのか、さらにこのような制御機構が昆虫の体の形態や生態の進化にどのようにリンクしているのか、詳しく調べていきたいですね。」と語った。



掲載された論文 http://dev.biologists.org/content/138/21/4621.long
 
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