嗅覚受容体が刺激によらずに軸索の配線位置を決める仕組み |
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おいしそうな食べ物の匂い、花の匂い、煙草の匂い、海の匂い―、私たちは様々な匂いを嗅ぎ分け、それらを記憶することができる。多様な匂い分子は、Gタンパク質共役型受容体(GPCR)である嗅覚受容体(OR)によって検出される。ORはマウスでは約1000種あるが、匂い分子が特定のORと結合すると、その情報は脳の嗅球へと送られ、各ORに対応する約1000個の糸球体と呼ばれる構造に集約される。さながら電光掲示板のように、匂い情報は1000個の糸球体の発火パターンとして表現されるのだ。受容体から糸球体をつなぐ神経は正確に配線されているが、このような複雑精緻な神経回路は一体どのように形成されるのだろうか。
理研CDBの今井猛チームリーダー(感覚神経回路形成研究チーム)らは、マウスを用いた研究から、リガンドの結合によらないORの活性化、すなわちORの基礎活性が、嗅覚ニューロンの糸球体への軸索の配線(軸索投射)の制御に重要な役割を果たすことを明らかにした。さらに、ORと共役するGsがこのような不安定で微弱なORの活性化シグナルを効率的に伝達することで、胎児期における匂い刺激によらない軸索投射を実現していることを示した。この成果は福井大学および東京大学などとの共同研究によるもので、米国の科学誌Cell にて9月12日付けで掲載された。
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特定のOR(OR-I7)を発現する嗅覚ニューロンの軸索投射の様子。Golf KOマウスでは異常は見られないが、Gs CKOマウスでは軸索投射位置が正確に定まらなくなった。上は嗅球切片(緑がOR-I7発現ニューロンの軸索)、下が嗅球ホールマウント画像。 |
嗅覚受容体(OR)は、嗅上皮に並ぶ嗅覚ニューロンの嗅繊毛に存在し、1つの嗅覚ニューロンは1種類のORのみを発現している。嗅覚ニューロンは嗅球の糸球体へと軸索を伸ばすが、特定のORを発現する嗅覚ニューロンは対応する1つの糸球体へと軸索を収束させる。この嗅覚ニューロンの軸索の配線、すなわち軸索投射は、嗅球上の頭尾(A-P)軸方向の大まかな位置決めと、各糸球体への局所的な選別・収斂の2つの機構によって緻密に制御されている。どちらもORの活性化ともなって生み出されるシグナルにより制御されていることが示唆されていたが、その詳細は不明だった。
GPCRの一種であるORはリガンドの結合、つまり匂い分子の刺激によって、不活性型から活性型へとその立体構造を変化させ、シグナルを生じる。しかし近年、GPCRはリガンドが結合しなくても一定量のシグナル(基礎活性)を生み出していることが分かってきた。調べてみると、通常のリガンド結合によるORの活性化は軸索の局所的な選別の制御に重要だが、一方で、A-P軸方向の大まかな位置決めには寄与しないことが分かった。そこで研究チームはORの基礎活性に着目し、基礎活性を変化させた遺伝子改変マウスを作製。解析した結果、基礎活性の変化によってA-P軸方向の位置決めに寄与する分子の遺伝子発現が変化し、基礎活性の低い受容体では頭側、高い受容体は尾側に、軸索の接続位置がシフトすることが分かった。これまで単なるノイズと考えられていたORの基礎活性こそが、軸索の広範囲の位置決めの制御に重要であることを突き止めたのだ。
次に今井らは、軸索投射にかかる2つの機構がどのように使い分けられているのかを探った。A-P軸位置決め分子は嗅覚ニューロンが生じる胎生中期から発現しているが、軸索の局所選別に寄与する分子は発生後期にようやく発現し始める。そこで、ORと共役する分子の発生期における発現を調べると、GsはA-P位置決め分子と、Golfは局所選別分子と、発現時期が合致することが分かった。GsとGolfは構造的に非常によく似た分子で、共にORと共役して下流にcAMPシグナルを伝達する。GolfはORと共役して匂いセンサーとして機能すること、また匂い刺激によって軸索の局所的な選別が起こる機構に寄与することが知られるが、Gsの役割や、両者の機能的な違いはわかっていない。そこで、GsおよびGolfとORとの関係を生化学的に解析すると、GsはORの基礎活性を効率よく拾い上げてシグナルを促進するのに対し、Golfは基礎活性だけではほとんど働かないことが分かった。
さらに、GsおよびGolfのKOマウスを用いた解析では、A-P軸位置決め分子の発現はGs の嗅覚ニューロン特異的KOマウス(CKOマウス:GsのKOマウスは胎生致死のため)で、局所選別分子の発現はGolf KOマウスで大幅に減少または消失する一方、逆ではほとんど変化しなかった。また、Gs CKOマウスでは非常に高い頻度で軸索の配線ミスが生じることが示され、Gsによって共役・増幅されるORの基礎活性がA-P軸方向の軸索の位置決めに必須であることを証明した。以上のことから、Gsは胎生中期の未熟な嗅覚ニューロンでORの基礎活性を効果的に引き出し、軸索投射におけるA-P軸方向の広範囲の位置決めの制御に寄与していることが明らかになった。
今回の研究は、嗅覚ニューロンの軸索投射を調節するシグナル機構を詳細に明らかにしただけでなく、これまで好ましくないノイズだと思われていたGPCRの基礎活性が生理学的な機能を有していることを示した初めての例だ。「基礎活性の伝達度合いにのみ違いのあるGsとGolfの使い分けによって、ORが全く異なる機能を果たし得るというのは驚きです。」と今井チームリーダーは話す。「一般に、神経系では、感覚刺激が無い状態での活動が神経回路の形成に重要な役割を果たすと考えられており、今回の成果もその一例と言えます。今後は、より中枢の神経回路の接続特異性が発生期の神経活動に依存して決まる仕組みを探求していきたいです。」
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